山陽新聞に裁判員裁判の記事を書きました。
5月25日の山陽新聞の特集記事に寄稿してみました(記事本文)。文字数が限られていたこともあって、裁判員裁判を「褒めすぎた」記事になってしまったかなと思っていますが、ケチを付けようと思えばいくらでも付けることはできます。しかし、裁判員裁判を実現させるために産みの苦しみを味わった人たちの労苦を思うと、ケチを付けるだけの記事にはしたくありませんでした。
この制度をどういう方向に育てていくかがこれからの課題だと思うのです。
制度が始まった時にも書いたのですが、この制度、すごい器量よしとは言えないのです(やはり陪審制の方が筋が通っていて美しいと思います。)が、じっと見ているとなかなか憎めない顔をしていています。時おり聡明そうな表情も見せます。
大切に育てていけば、日本の社会にあった裁判制度に育つかも知れない可能性は持っていると思います。
私はあと何件の裁判員裁判にかかわれるかわかりませんが、できるだけ長くこの裁判にかかわっていきたいと思っています。