« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

2014年5月27日 (火)

東京行きの朝は眠い

東京高裁の事件で東京へ。

朝御飯を食べずに家を出たので、新幹線に乗るなりアサヒスーパードライ。空きっ腹にはビールがよくまわる。

今日は日帰りなので、疲れに行くようなものだ。

いつの頃からか、東京出張というと、ドーミーイン八丁堀という温泉付きのビジネスホテルに泊まって、温泉三昧→爆睡そして1日は休養というのが習慣になってしまった。岡山では土日祝日もお構いなしに働いているので、実は東京出張というとオアシスにたどり着いた気がするのだが・・・。

今回は、渡世の義理があって日帰りを余儀無くされた。ああ残念。

今朝の天気だと富士のお山も雲の中か。




2014年5月26日 (月)

山陽新聞に裁判員裁判の記事を書きました。

5月25日の山陽新聞の特集記事に寄稿してみました(記事本文)。文字数が限られていたこともあって、裁判員裁判を「褒めすぎた」記事になってしまったかなと思っていますが、ケチを付けようと思えばいくらでも付けることはできます。しかし、裁判員裁判を実現させるために産みの苦しみを味わった人たちの労苦を思うと、ケチを付けるだけの記事にはしたくありませんでした。

この制度をどういう方向に育てていくかがこれからの課題だと思うのです。

制度が始まった時にも書いたのですが、この制度、すごい器量よしとは言えないのです(やはり陪審制の方が筋が通っていて美しいと思います。)が、じっと見ているとなかなか憎めない顔をしていています。時おり聡明そうな表情も見せます。

大切に育てていけば、日本の社会にあった裁判制度に育つかも知れない可能性は持っていると思います。

私はあと何件の裁判員裁判にかかわれるかわかりませんが、できるだけ長くこの裁判にかかわっていきたいと思っています。




2014年5月24日 (土)

法曹在職30年表彰を受ける。

岡山弁護士会の総会。法曹在籍30年表彰を受ける。

29才で弁護士になったとき、30年先輩というと遥か彼方の雲間に見え隠れするような存在だったが、自分もいつの間にかそんなことになってしまったかと思うと、複雑な思いがある。

もうしばらくは弁護士会にはびこって、悪いことも色々して遊んでみたい気持ちが残っているのであって、悟りの境地などはまだまだ遠い。年寄り扱いされることへの抵抗感もある。

30年前は120数名だった会員数が現在355名とほぼ3倍増となっている。会場にはお名前すらわからない若手会員が多く、こちらはお名前を覚えようという気力すら失っている。弁護士業務をめぐる環境は厳しいものがあるが、若い会員がたには、岡山弁護士会というこの地域の法的サービスの社会基盤をしっかり守っていってほしい。

佐々木会長から賞状と記念品として烏城彫(うじょうぼり。烏城は岡山城の別名。)のりっぱな文箱をいただいた。




2014年5月 7日 (水)

よいゴールデンウィークでした。

先月、裁判員裁判が終わってから、重い疲労感を引きずっていたが、ゴールデンウィークでようやく解放された。

肉体的、精神的疲れもさることながら、裁判員裁判はその直前から裁判中にかけて、他の業務はすべて一時棚上げにして、裁判員裁判に没頭するしかないのだが、終わった後で棚の上を片付けようと覗いてみると、正視できないような惨状であり、鉛のような重い気分になってしまう。

今回の裁判員裁判は地元デパートへの放火の事件だったが、幸いにも執行猶予の付いた判決をいただくことができた。裁判前一ヶ月を切ったころ、ようやく保釈が認められたことで、準備の手間を大幅に省いていただいた。

保釈が認められ、濃厚な精神科医療のあって、被告人の精神が安定し、自傷行為・自殺行為が無くなったことで、裁判員裁判らしい展開ができたように思う。

被告人が、悲しくなるほど善良すぎる性格の、若い女性(しかもとても美人であった。だからどうだということも全くないのだが・・・。アハハ。)であったことから、ついつい力が入りすぎた。

裁判員裁判には、裁判官裁判とは異なる長所があるのだが、裁判官・検察官・弁護人にすさまじい苦労を強いる手続きとなっている。「一定の重罪の事件については、事実に争いがない情状事件についても全件裁判員裁判でやろう」という今の枠組みはかなり無理があるようだ。

裁判員の方に「わかっていただけましたか・・・。」という視線を送ると、「ウンウン」とうなづいていただけることもあるし、クライマックスでは一緒に泣いてくださることもある。血が通った審理になっていると、やりがいを感じることも少なくない。




« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »